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長野生活記

7月半ばからこの4ヶ月のことを少し記しておこうと思います。

こどもの森幼稚園にほど近い場所に無料で家をお借りすることができて(放射能避難ということで。ちなみに行政がらみではありません、民間の支援団体が仲介です)、何だか導かれてここに来たような気がしています。
本当は、北信は、放射能の影響が少しあるので、同じ長野でももっと南の方に行くつもりだったのですが、物件などうまく見つからず(安曇野には友人のお父さんの不動産屋さんもいたのに!)。

なんと無料で放射能測定してくれる方が長野市にはいて、心配なものは持ち込めるし、データーがかなりの量すでにあるので、それを見ながら食べ物も選べるし、本当に助かってます。マブソン青眼測定室

放射能対策を行政に求めたりする活動を行っているお母さんの団体(りんごほっぺの会)ともつながれました。

デモも、上記のマブソンさんが中心になって毎週金曜日行っているので(長野駅前)、できる限り参加するようにしてきました。夕方の6時半〜7時半という時間帯なので、これから冬になると参加が厳しくなりますが。。(家が山の上なので、道路が凍っちゃうと帰れなくなりそう。。。)

子どもの幼稚園の費用を捻出するために、仕事を始めました。
幼稚園の近く(の山の中)の老人ホームで調理のパート。
添加物を気にしないのはまだしも、放射能も気にしてないから、それを一緒に食せざるをえないのが最大の難点ですが、、小規模で人間的な働き場で、「ここで働けてよかった」と思えます。

とてもきちんとしていて、細かいのですが、「あわててやらなくていいから、ちゃんとやって」という感じ。

私の中には「経営者が求めているのは、効率よく仕事をこなすことだろう」という思い込みがあったのだと、気づかされましたが、今の世の中、そういった「効率」がすべて、働く人は一労働者でしかなく、つまり一人の人間としては扱われないというのが主流ではないでしょうか。
働かせる側は「いかに短時間に労働力を搾り取れるか」、働く側は「いかに自分の時間を多くのお金に換えられるか」そのせめぎ合い、パートやアルバイトの仕事って基本的にそういうものだと。

「○○さん」という個人として扱ってもらえるというだけでありがたいことだと思えるのは、むしろ世の中がよほどヘンなのかも。
千葉に戻って来て、ものや人の量は多いけど(それでも東京には比べるべくもないのだけど)、わさわさしてるなー、長野はのんびりしてるなーと改めて感じます。

そして、プレーパークや自主保育のことで行政の話を仲間から聞いて、またまた八千代市に絶望してしまいました。。
市長リコール運動起こってるけど。

自治体は、何十万人という規模にはならない方がいい、という気がします。
人の顔が見えて、どこどこの誰々っていう一人の人間の存在感が薄まらなくて、何かをすれば周知されるくらいの規模がいい。

それは息苦しいというのが昔のコミュニティーの崩壊理由ではあったけど、昔のように移動手段や通信手段が限られてた時代とは違うのだから。コミュニティーに縛り付けるのでなく、「承認」を得られる場であるといいと思います。
「私がここに存在している」「私が行うことが周囲の人を喜ばせている(悲しませている)」ということが見える。

「誰に何を言われるかわからない」恐怖が、行政を縮こまらせ、かたくなにしているのか…
組織の理論の前に、一人の人間としての思いや情熱は捨てなければ生き残れず、人間性を枯渇させられているのではないか…
…腹が立つを通り越して哀れに思えて来ました。
規模だけの問題ではないだろうけど。規模が大きくたって、ちゃんと人間的な対応してる市はいくらでもあるのだから。

西條さんが『人を助けるすんごいしくみ』の中で「全員の人を片寄りなく幸せにするために設けられているはずの行政機関が、全員の人を片寄りなく不幸にする」ということに怒りを綴られていましたが、まさにまさに。

財政的な問題で自治体は統合されるのだろうけど、エネルギー自給などして(それには地方の方が有利)、地域の中でお金を回せるしくみを作っちゃって、できる限り国の補助金などに頼らないでやってけるようになるのがいいんじゃないかと思います。


長野でもプレーパークを実現しようと活動している人たちにも出会え、スタッフに入らせてもらうことにしました。北信に遊び場づくりを夢見る会
まだ2ヶ月に1度の不定期開催ですが、来年から月1にしたいとはりきっていました。

子育て支援の活動にももう少し関わりたいと思って、「CAP」のスペシャリストの資格でも取ろうかと思っていたら、なんだか組織が複雑で、長野で活動するための資格を取るためには東京での講座を受講してもダメで(内容は基本的には同じじゃないのかと思うんだけど、、)、今年は岩手まで行かないといけないということで、足踏みしています。

ノーバディーズ・パーフェクト(ファシリテーターの資格は取りました〜認定も受けました〜)
の活動をしている人とは最近出会えたので、これから何かしていけるといいなと思っています。
ただ、これはCAPの活動が、道がついて定期的に開催できる状態になってるのと比べて、まだ基盤が何もないし、もちろんお金をもらえるようになどなっていないので、先は見えないです。

仕事しながらでも、やっぱり、こういう活動に首を突っ込まずにいられないのは、自主保育と違って森のようちえんは子どもを「預け」てしまうので(それでも親の出番は相当多い幼稚園だけど)、ちょっと物足りないというか(^^;)
内容はとーってもすばらしいんですが。
私はつくづく、「お客さん」でいるのがキライで、提供する側にまわりたいのだと思います。

この前、幼稚園のおかあさんの中でバザーがあって、石けんとついでにハンドクリームを売ったら、なかなか好評で、化粧水やリップも欲しいと依頼があったりしたので、そちらもぼちぼちやっていこうかと思います。
生活資金を稼がねばならないので、住む場所や家族の移住などがもう少し固まったら(今の家は一年貸借の約束なので)土日だけでもカフェとか、民泊とか、したいなーとも思ってます。
料理を作って食べさせるのは、好きなんだなーと思うので。


信州の人は、特に北信だからか、理屈っぽい人が多いような気がします(笑)
(放射能のことなど)理を持って諄々と説明すれば理解はしてもらえそう。保守的ではあるけど。
雪が多い寒い地方の人は、ほんとうにきちんとしてる、方言で「ずく」と言うらしいですが、根性があるっていうか…と思います。
前に高山に行った時には、こんなにきちんとしている人たちの間で私のようなズボラは住めない…と思ったけど、私にも少し「ずく」がついてきたかも??雑なのは相変わらずですが^^;

子どもを連れていると、県庁など、私が話をしているとそばにいるおばさんだったりお姉さんだったり、誰か彼か子どもをかまってくれて、子どもに対するまなざしは優しいなーと感じます。
道を行くおじさんが声をかけてくれたりも良くするし。

まだ冬を越してみないと何とも言えませんが、それが最大の関所なので…とにかく、今のところは日々を楽しく、充実して過ごしています。
不便なことも、お金がかかって困る、、ってのもまあ、ありますが、何と言っても、自然の美しさが最高!
(千葉に帰って、早速手はガサガサするし、くしゃみは止まらなくなるし。。水や空気が違う〜あったかくて過ごしやすいですが。)

また明日には長野に戻ります。
(そしてネットにはつながらなくなります)

取り急ぎのまとめ
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by tiny tree  at 09:12 |  ナチュラルライフ考 |  comment (1)  |  trackback (0)  |  page top ↑

今日は自主保育サークル「ぽっぽ」の日。

昨晩降った雪が積もって、一面真っ白!!

梅


年に1度あるかないかの雪の日、寒いし、ビチョビチョになるだろうなーとは思いながらも、子どもと一緒に遊ぶのを楽しみに出かけたのですが、千葉の人は雪には慣れてないみたい?!
装備が軽くて、寒さに大人も子どももガチガチになってました。

私は寒いのがめちゃくちゃ苦手なので、雪の日に限らずいつも重装備なのですが(^^;)
でも、今日は「ナチュラリストとしては筋金入りなんじゃないか、自分?!」(千葉レベルで???笑)とちょっと自信を持ってしまいました(笑)

ぽっぽユキ

スキーウェアとかレインウエアーは、なれないとゴソゴソして着づらいから子どもはいやがるんだけど、ちゃんとあったかく濡れないようにしてあげれば、思い切り雪遊びが楽しめますが、そうでないとすぐびしょびしょになるし、冷たくて手先や足先が痛くなって、早々にお家に引き上げてこたつでぬくぬく、ってことになるみたい。
せっかくだから、って遊ばせたいのは親ばかり、と。

自然とお付き合いするのは、装備や心構えが必要だし、目に見えるものだけでなく、目に見えないものまで見ようとする視線が必要だし、準備や片付けが大変で、「スロー」なんていってもちっともゆっくり出来なかったりしますが、うまずたゆまず、一つ一つの過程を大事にしていくこと、それがナチュラリストたるものの目指すところ・・・かな。

私の「ナチュラリスト」の師匠は姉崎一馬さんです♪
HPわらだやしき自然教室
『姉崎一馬の自然教室』
『姉崎一馬の新自然教室―朝日連峰山麓』

ま、我が家、装備が充実してるのは、何のことはない、この「わらだやしき自然教室」に数年前に参加したので、一式揃えたからなんですが(^^;)

久しぶりに懐かしくなってしまいました、山形の朝日連峰の美しい雪景色が。

以前の記事(1)(2)


姉崎さんの本は『はるにれ』『ふたごの木』など有名な絵本もありますので、機会があったらぜひ見てみてね♪

私は姉崎さんや星野道夫WEB STORY「森と氷河と鯨」)のように「大自然の中で暮らす」選択はしなかったけれど、この自然も残しつつ都会とも程近い千葉の地で、私なりに、「自然を感じながら、自然を大切に暮らす」こと、その方法を発信していきたいなぁと改めて思います。

リンクがうまくいっていなかったところを直しました(2/3)

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甘夏生産者のお話、ピール

先週金曜、生協主催で甘夏の生産者の交流会がありました。
スローフードの会 佐倉市志津コミュニティーセンターにて>

毎年、甘夏が出始める前のこの時期になると、生活クラブ生協では熊本から生産者を招いて、交流会を行います。
熊本の水俣病の被害にあった人たちが、海での仕事を失って丘に上がって始めた甘夏の生産。
被害者である自分たちが加害者にならないように、ということから始まった、減農薬での栽培取り組みを、生協が「買うことで生産者を支える」という精神で続いてきたおつきあいです。

毎年機会を逃して、お話を直接聞くことができてなかったので、行ってきました。

びっくりしたのは、水俣病で「チッソ」という、加害者である工場が出した水銀の量は、なんと、全世界人口の経口致死量(飲むと死んでしまう量)に匹敵するほどだったそうです。
原因が疑われながらも、因果関係がはっきりしないということで措置が遅れ、結果として大量の水銀を垂れ流し続け、被害を拡大させることになった・・
なんだか、その構図は今も変わっていないような気がします。。。

水俣の地域に住む20万人ほどの人口のほとんどが、何らかの形で影響を受けているのに、「認定患者」はたったの2000人程度なのだそうです。
その戦いは、30人以上もたった今もまだ続いています。

遺伝子組み換え食品、狂牛病、それから原子力発電。
同じだよなぁ・・・
新型インフルエンザについても、発生源とも言われるメキシコの養豚場では、「いつそうなってもおかしくない」と以前から指摘されていたそうですよね。(つまり衛生環境がきわめて悪かったため)
関連記事

それに、農薬の怖さ。
お話しして下さった方のお知り合いの妹さんは、農薬で中毒死したそうです。
その状況というのが、まだ赤ちゃんだったその妹さんが、お母さんのおっぱいを飲んでいるところに、農薬をまいたお父さんが帰ってきた、家に入ろうと玄関で農薬でぬれた雨合羽を脱いでいた、赤ちゃんがおっぱいを吸わなくなったなと思ってふと見るともう死んでた・・・
・・・それだけで死に至るほどの、強い農薬を、農協の指導のもと、年間15回もまくような農法を30年ほど前は普通にしていたそうです。
当然、入院したり、死んでしまったり、という事故も多かったそうです。

農薬をまくことで、生産者は「楽が出来る」からまくわけじゃない。
でも、消費者が「見栄えのいいもの」を求めるから、農薬をまかなければ「売れるもの」を作れないから、まく。
今は強い農薬は規制されるようになったけど、今でも、農協におろす甘夏には、「ヘタ止め剤」と「防腐剤」の混合物を散布するのだそうです。
「ヘタがとれたものは商品にならない」のだそうです。

味は同じですよ?!
(生産者によると、ヘタのところでも呼吸しているから、とれていないほうがよりいいけど、味が変わるわけじゃないということでした。
古くなって来るととれやすくなるため、「古く見えない」ための農薬ではないでしょうか)
皮の表面につくダニや黒点病も、見栄えは悪くなるけど中身には全く問題ないそうです。
弱くなったといっても、やっぱり農薬。直接実に出荷する直前にかけるって・・・怖いなーと思います。

消費者が賢くならなければ、生産現場は変わらない、そして過ちは繰り返される。。
上記のメキシコの養豚場で、付近の住民から抗議運動が出るほど劣悪な畜産が行われていたのは、コストを削減して「安い」豚肉を出荷するためです。
それをより多く食べているのは、おそらく付近の住民ではなく、私たち先進国の住民でしょうね。
決して人ごとではないのだと思います。


甘夏から脱線しましたが、皮も使える貴重な甘夏、ピールを作るようになってから皮も捨てられません(^^;)
企画でたくさん出た皮をもらってきて、今年もピールを作りました。

あまなつピール

白砂糖がなかったので、てん菜糖で作ってしまいました。
色は良くないですが、味は白砂糖よりコクがあって、私は好きです。

またピールチョコを作ろうっと。

ピールの作り方(1)
ピールの作り方(2)

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弱さを抱えて生きる

前回の講座で、スキンケアのところでお伝えしきれなかったことを記しておきます。

少し抽象的ですが・・・

人間には誰しも、弱い部分がある。
外から見てどんなにすごい人にだって、必ず、ある、のです。
この世に完璧な人など一人としていないのですから。

でも、最近身にしみて思うのです。
その「弱い部分」こそ、自分を深みに導いてくれる存在なのだと。

森2


精神的な面でもそうだし、肉体的な面でもそうです。
例えば、アトピーやぜんそくがあったり、持病があったり、うつ気質だったり・・
それは辛くて苦しいけど、痛みや苦しみがあるからこそ、「どうしたらよくなるだろうか」と真剣に取り組み、学んだり、色々試してみたり試行錯誤する。
のど元過ぎれば、で、痛みがないと努力を持続するのは難しい。

弱いからこそ、一生懸命になるし、一生懸命になるからこそ、深いものの見方に到達できる、のだと。


だから、私は、最近自分が弱気になりそうになると、自分にこう言い聞かせるのです。
「その弱いところが私の強みなんだ」と。

「あれもこれも手を出して、散漫なんじゃないか?1つのことを極めればいいのに・・」
とささやく自分もいます。でも、
「いやいや、それが私のいいところ。色々できるからこそ、トータルな視点で、生活全般にわたった提案ができるはず」

生活の細部までこだわりをもって、凛とした人を見るとやはり憧れてしまいます。
「もう少し、こだわることができたらいいのに・・・」
「いやいや、こだわらないからいろんな人とも付き合っていける部分もある。何でも受け入れることは懐の深さにつながる。今『できない』ことは、きっと私にとって意味がある」

「私には私にしか出来ないことがあるはずだ」
といつも言い聞かせています。

のいちご2


人の弱みはさして弱さに見えなかったりするのに、自分に関しては、ついつい「これじゃダメだ」と否定してしまうものではないでしょうか。
でも、その弱さを持っていたからこそ、今の自分がいる。
そのことに関して努力できる。
そう思って、「なくしてしまいたい」と思うのではなく、受け入れてあげて欲しいな、と思います。
自分の中の「キライ」な部分こそ。

クリスチャンの友人からこんな言葉を聞きました。
「神は弱さのうちにあらわれる」


治りの悪い手のひらの荒れを見つめていて、気がついたのです。
「これがあったから私がスキンケアについて話をするなんていう機会をもらうことも出来たんだよなぁ」
そう考えると、人生って不思議だな?、そして、ありがたいなぁ?と思うのです。


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ものを作ることについての雑感

ものと向き合うことは、自分と向き合うことでもあります。
ものつくりの過程は、「自分はどうしたいのか、どんな感じが好きなのか、きらいなのか」を明らかにして、ひとつひとつクリアしていくこと。

それは自分のBeingを強くしてくれる。

「これはお金には換えられない!と思える価値」をたくさん持てている、それが私の強みなんだなぁと、気がつきました。
そして、それが、講座を通して私が一番伝えたいことでもあるのだ、と。


うわみずさくら

このブログを始めてみて最近気がついたのは、人と関わることももちろんすごく大切だけど、私は自分一人になる時間もとても大切なのだな、ということ。


体調が悪くて久しぶりに畑に行ったとき、私の一番の健康法は畑仕事をすることだなーと、思いました。
運動不足解消と、新鮮な野菜を食べること。(新谷弘実さんのいうところの「エンザイム」の豊富な食材を摂ること!)
それに、精神面での効用。
今の社会は人工物の中だけで、養老孟司氏が言うところの「脳」の中の環境だけで1日中過ごすことがむしろ当たり前だから、そこからプラグアウトできるルートを持っていられるということが、私にとっての畑仕事の意味だったのだと、気がついたのでした。


はな3」


ある意味、「子ども」という存在も「自然」そのもの。
「子どもに振り回される」のは、だから当然だし、むしろその経験は貴重ですばらしいことではないでしょうか。
大人がコントロールするのではなく、子どもの生きるリズムに合わせ、寄り添うことで、私たちは、ほとんど忘れていた自分の中の「自然」を感じる、子育てがその契機になるといいなぁと私は思います。

生理を大切に扱って上げること、月の周期を意識して生活することなども、自分の中の「自然」を感じること。
意識でコントロールし「管理」するのではなく、謙虚に、おつきあいする。
耳をすまして声を聞こうとすることが大切だな、と思います。


新芽2




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